京阪電鉄 京津三条ー浜大津 (11.1km)

京津三条駅前の90系  三条大橋を東に渡ったところに京津三条(けいしんさんじょう)駅がある。横には鴨川が流れ、地下には京阪本線の京阪三条駅がある。かつては京阪本線も地下化されておらず、鴨川岸を京阪電車がのどかに走る姿が眺められた。京津線ホームから600系2両編成浜大津行き準急が発車。レールが右へカーブし、三条通りに入る。東山三条・蹴上(けあげ)を通過。蹴上までは併用軌道なので、電車は「ボワーン」というユーモラスな警笛を鳴らしながら徐行運転をする。再び右に、そして左に曲がって専用軌道に入り、いよいよ東山・逢坂山(おおさかやま)超えの難路線になる。最急勾配は66.7パ−ミルもあり、私鉄では箱根登山鉄道の80パ−ミルに次ぐ急勾配。九条山を通過するとしばらく併用軌道となる。徐行しながら日の岡も通過し、専用軌道に戻って御陵(みささぎ)に停車。近くにある天智天皇陵にちなんだ駅名。これより先は各駅に止まる。京阪山科(やましな)はJR山科駅との乗換え駅。四宮(しのみや)には京津線の車両基地がある。各駅停車の80系は四宮までで、ここで折り返す。追分(おいわけ)からはしばらく名神高速道路と併走し、大谷が最高地点。ここから線路は急曲線急勾配の下りになる。京津線唯一のトンネルを抜けると上栄町(かみさかえまち)。再び併用軌道に入り、石山寺向きに右折して石山坂本線に合流し浜大津に到着。ホームは1面2線。京津線の電車はすべて浜大津が終点で、石山寺側の引き込み線に入り、京津三条へと折り返す。


市営地下鉄烏丸御池―京阪電鉄浜大津(12.3km)

 1997年10月14日。京都市営地下鉄烏丸御池(からすまおいけ)駅地下3階にある東西線の島式ホームにいく。ホームと軌道の間は壁で仕切られていて、電車が停車して扉が開くのに連動して壁の扉も開く仕掛けになっている。次の京都市役所前で京都市営地下鉄の6両編成を降り、京阪の電車を待っていると引き込み線から800系4両編成が入ってくる。1両目と4両目がセミクロスシート車で、4両目のクロスシートに。三条京阪・東山・蹴上(けあげ)と地下駅に停車して、次は京阪と市営地下鉄が分岐する地下駅の御陵(みささぎ)。「地下鉄線の切符をお持ちの方は向かいのの電車にお乗り換えください。京阪山科まで行かれますと追加運賃が必要です」という車内アナウンスが流れる。京阪山科からは、京阪の初乗り運賃が加算されるので京都市営地下鉄の山科より高くなるからである。御陵からしばらく走るとようやく地上に出て、JRをアンダークロスする手前で元の地上線に合流する。10月11日で廃止された京津三条からの旧線は早くもレールが取り払われていた。地上駅の山科に到着。ここから浜大津まで、四宮・追分・大谷・上栄町と旧来の急勾配急曲線の路線であるが、最後尾に乗っていると、4両編成が身をくねらせながら難路線にいどむ姿がよく見える。最新鋭の800系の妻板にも成田山の交通安全のお札が貼ってあるのが印象的であった。併用軌道を大きく右折して浜大津に到着する。


京阪電鉄 石山寺ー坂本 (14.1km)

石山寺駅の700系と600系  石山寺は1面2線の簡素な島式ホーム。西国三十三所の札所、石山寺は駅から瀬田川に沿って南へ徒歩15分ほど。列車は600形2両編成坂本行き各駅停車。石山寺を出てすぐに東海道新幹線をアンダークロスすると唐橋前。瀬田の唐橋への最寄り駅。つぎの京阪石山はJR石山との連絡駅。やがて高架になって東海道線を斜めに大きくオーバークロスしてJRの北側へ下りる。粟津・瓦ヶ浜と、湖畔を思わせる駅名が続くが、湖岸の埋め立ては相当進んでいる。中の庄・膳所本町(ぜぜほんまち)・錦と進んで大津市の中心部へ入っていく。京阪膳所はJR膳所との連絡駅。石場・島ノ関を過ぎると京津線との分岐駅の浜大津に到着。かつて浜大津駅は、石坂線が現在の位置である東口、京津線が西口と2カ所に分かれていた。石坂線と京津線は直通車を除き徒歩連絡であったが、1981年に現在の浜大津総合駅が完成し、同一ホームでの乗り換えが可能となった。浜大津を出てしばらく併用軌道なので電車は徐行運転する。つぎの三井寺(みいでら)は園城寺(おんじょうじ)への最寄り駅。琵琶湖疎水を渡って別所は大津市役所の向かい。つぎの皇子山(おうじやま)はJR湖西線西大津との連絡駅。JRの高架をくぐって近江神宮前。右手に錦織車庫がある。南滋賀・滋賀里あたりからやや高台に上がり、右手に琵琶湖が見渡せるようになる。つぎの穴太(あのう)は、石垣の穴太積みの里。松ノ馬場(まつのばんば)からさきはは第二次大戦中に鉄材供出のために単線化されていたが、最近再複線化された。終点の坂本は1面2線のきれいな駅。坂本は比叡山延暦寺のお膝元である。