2004年3月15日。晴れ。JAS851便で広島から約2時間、12:15に新千歳空港に到着。地下のJR新千歳駅に向かう。12:34発の「快速エアポート120号」に乗車。列車は地上に出て、南千歳・千歳・恵庭・北広島・新札幌に停車。普通列車のキハ201を追い抜いて、13:10札幌に到着。札幌駅は5面10線の立派な高架駅である。今回は仕事のついでなのであわただしく、市営地下鉄さっぽろ駅に向かう。札幌の地下鉄はタイヤをはいた案内軌条方式。車内は貫通路が大きくて広々している。目的地は「西11丁目」。南北線で1駅の「大通り」まで行き、東西線に乗り換えて1駅目で降りる。
仕事まで1時間ほど余裕があるので、歩いて5分の『志の家』に入る。道端にはまだ雪が残っており、粉雪が少し舞っていた。まず「かもせいろ」を注文。さらしな粉に数種類の粉をブレンドした白いそばで、鴨汁はあっさり目の味付け。全部飲めた。暖まったところで、「なめこおろしそば」を注文。女性の店員さんがてきぱきと働く明るい感じのお店だった。仕事の後、夜は同僚とすすき野で鮨屋を探検。入ったお店は『鮨金』。地物の最高の肴を満喫した。翌日は昨夜目をつけていたそば店『まる山』を訪れたが、まだ開店前。おなかが持たないので『岡田屋』でみそラーメンを一杯。市電を見学して腹ごなしをしてから、もう一度『まる山』を訪れる。市民に親しまれている町のそば屋さんという雰囲気。熱い「かけ」の後に、「せいろ」も注文。そばは「ごまそば」であった。札幌にはなぜかごまそばをだす店が多く、なつかしい味がする。
1998年8月29日。名古屋12:00発の特急「しなの17号」で長野を目指す。停車駅は中津川、木曽福島、塩尻、松本、篠ノ井。木曽福島の手前では名勝「寝覚ノ床」の案内アナウンスが流れ、列車を減速するサービス(?)もあった。塩尻で中央東線と合流。篠ノ井線に入り松本に停車。姨捨あたりからは善光寺平が眼下に広がる。やがて線路は高度を下げてゆき篠ノ井。ここからは信越線。新幹線の高架下をしばらく走って14:49長野着。バスに乗り換え、善光寺大門前で下車。『大丸』で「さらしなそば」を食べる。善光寺に参拝してから長野駅方向に10分ほど歩き、『太田屋』に入る。そば粉十割の「十善そば」は売り切れで、普通のざるそばを注文する。
長野駅に戻り17:16発快速小淵沢行きで松本に向かう。ゆきは特急だったので姨捨駅を通過してしまったが、今度は停車するからスイッチバックがある。本線から左手の引き込み線に入り停車。後進をかけて本線を横切り駅に入る。18:27松本着。夜は郷土料理と地酒。翌朝、ホテルから旧開智学校まで散歩して時間をつぶす。開智学校は明治9年の建築で、小学校の建物では日本最古である。11時を回り女鳥羽川ぞいの『女鳥羽そば』に入る。「三重そば」と「ざるそば」と「そばのうす焼き」を注文。純米酒も少々。お腹がいっぱいになったので松本電鉄で新島々まで行ってみる。2時半頃、松本に戻り『そば処まつした』で冷たい「なめこそば」を注文する。この日は台風のせいで運休列車もでており、15:36発の「しなの22号」名古屋行きで早めに松本を離れた。
1999年10月6日。大阪駅11番線から11:42発の特急「雷鳥17号」富山行きに乗車、武生を目指す。指定席車であるが、乗車率は20%といったところ。約26分で京都に到着。やがて湖西線に入り、オール立体化の線路を時速130キロで駆け抜けていく。車窓からはエリ漁が見える。北陸本線と合流する近江塩津の手前で直流から交流への走行中切り替えが行われ、車内灯が消灯。右手かなたに北陸線下りの「加越10号」の走る姿が見える。深坂トンネルを抜けて13:01敦賀に停車。13:23に武生に到着。まず、駅から歩いて5分ほどの『いせや』を目指す。注文したのはもちろん「おろしそば」。大盛りにしてもらった。挽きぐるみの黒いそばで、皿に盛ってあり、上にはきざみ葱と鰹の削り節がのっている。つゆには大根おろしが混ぜてある。くせのないそばで、つゆも上品なあじである。そばを食べてしまってから、徳利のつゆも飲んでしまった。
つぎに歩いて5分ほどのところにある『うるしや』に行く。おじいさんの店主が一人でやっており、司馬遼太郎の『街道をゆく』でも紹介されている店なので「予約なしですが入れますか?」と尋ねると、「いすせきでまってて」といわれた。ここでも「おろしそば」を注文。待つこと40分ほど。そばは茶そばで、ゆっくりと味わった。お店は大正時代に宮大工が作った落ち着いた建物で、待っている時間も飽きなかった。しばらく町を散歩し、15:34発の福井行き各停に乗り、15:52福井に到着。市内を走る福井鉄道を見学してから、駅ビル2階の『匠』に入る。ここでは「おろしなめこそば」と冷酒を一本。駅ビルのそば店とは思えないほどいいそばだった。
2018年3月17日のダイヤ改正にともない、京阪石山坂本線は4駅の駅名が変更になる。「浜大津」が「びわ湖浜大津」、「別所」が「市役所前」、「皇子山」が「京阪大津京」、「坂本」が「坂本比叡山口」に変わる。「浜大津」と「坂本」は新駅名の中に残るが、「別所」と「皇子山」という駅名は跡形もなく消えてしまう。
2018年3月5日。小雨。11時すぎに京都市営地下鉄四条駅で「地下鉄・京阪大津線1日フリー切符」を購入し、地下鉄烏丸線に乗車。次の烏丸御池駅で東西線のホームにうつり、京阪浜大津行きを待って800系電車に乗車。浜大津駅で一度途中下車して外から橋上駅の駅名標を眺める。再入場して石山坂本線の坂本行きに乗り換え。別所駅でも途中下車し駅名標を眺めていると親切な駅員さんが、駅名が変更される4駅着の使用済み切符がありますよと声をかけてくれた。皇子山駅でも途中下車して写真撮影。
終点の坂本駅に着くと、日吉大社の参道の坂道をすこし上って角の『日吉そば』を訪れた。まず、ざるそばと瓶ビールを注文。そばは伸しべらでかむとほんのり甘みがある。この日は少し寒かったので、追加で湯葉とおろし生姜がのった熱いかけそばの「古代そば」も頼んだ。このお店は30年以上まえから訪れているが、店の人も昔と変わらず、庭が見えるほの暗い店内には坂本の町の観光ポスターが貼られていて、まるで時計が止まったかのように落ち着いた雰囲気であった。
2006年3月17日。阪急梅田駅1号線から河原町行き特急に乗車し、桂で嵐山線に乗り換え。上桂・松尾を過ぎて終点の嵐山に到着。徒歩5分で渡月橋に出る。平日にもかかわらずたくさんの観光客がいた。橋を渡り5分ほど歩くと京福電鉄嵐山駅。櫛形ホームの端には足湯が楽しめる施設がある。四条大宮行きワンマンカーに乗車。地元では「嵐電(らんでん)」の愛称で親しまれている。
嵯峨(さが)、鹿王院(ろくおういん)・車折(くるまざき)・有栖川(ありすがわ)・帷子ノ辻(かたびらのつじ)・太秦(うずまさ)・蚕の社(かいこのやしろ)と難読駅がつづく。帷子ノ辻では北野線白梅町(はくばいちょう)行きの電車が待っていた。ここから併用軌道になる。山ノ内・三条口・西院(さい)を過ぎて、再び専用軌道になり終点の四条大宮に到着。7.2キロ200円の旅である。
地下に降りて再び阪急に乗り、終点の河原町に到着。中央出口から出て、四条通を西に行き、新京極通を三条通まで上がり、三条通を西に入る。そこから10分ほどの『大鶴』を訪問。この店の名物「ちらしそば」を注文する。大盛りにしてもらった。「ちらしそば」は皿に盛った冷たいそば。胡椒と粉山椒で味付けされた焼鶏と、錦糸卵と甘辛く味付けされた椎茸ともみ海苔がのっている。つゆの味は濃いめで食べ応えがある。『大鶴』をでて三条通を東に戻り、今度は寺町通を下る。錦天神の少し手前にある『有喜屋』の支店にも寄るつもりだったが、「ちらしそば」でお腹一杯だったのでこの日は素通りした。このあたりにはほかにも、『本家田毎』『晦日庵河道屋本店』『権太呂』『本家尾張屋本店』など、有名なそば屋さんがおおい。
1997年12月9日。広島から11:58発芸備線急行「ちどり」備後落合行きに乗る。キハ28の3両編成。列車は太田川の東岸を遡り中国山脈に分け入っていく。志和口、向原、甲立、三次、塩町に停車。三次では福塩線のディーゼルカーの姿が見える。備後庄原から列車番号が変わり普通列車となる。14:05備後落合着。キハ120単行運転の14:10発宍道行き普通に乗り換え。木次(きすき)線に入り、大小いくつものトンネルを抜けてどんどん高地へ登っていく。いよいよ出雲坂根の3段式スイッチバック。1回目の折り返しが最高地点で、ここから下りになる。出雲坂根駅が2回目の折り返し。折り返す度に運転士がブレーキハンドルをもって車内を横切る。2駅先の出雲横田にはキハ120が2両留置されていた。次の亀嵩(かめだけ)で途中下車。駅のそば屋『扇屋』で割子そばを食べる。
約1時間後、16:12発の宍道行き普通に乗車。他に乗客はおらず、運転士の他に乗っていた話好きの乗務員が横田町の観光ガイドをくれた。木次で行き違いのため6分停車。17:25宍道着。キハ47の17:37発出雲市行きに乗り換え。出雲市で一泊する。翌日は、早朝からやっている『羽根屋』で割子そばを食べてから、一畑電鉄の10:21発松江温泉行きに乗り、川跡(かわと)で出雲大社前行きに乗り換え。10:43に到着し、出雲大社に参拝する。とても寒かったので、『荒木屋』で釜揚げそばと熱燗を一本。再び一畑電鉄で出雲市に戻り、キハの120の12:34発浜田行きに乗車。13:16大田市で途中下車して地酒を買い込み、約1時間後の特急「いそかぜ」小倉行きに乗車する。酒を片手に日本海の景色をたっぷりと楽しんだ。
1994年3月2日。快晴。小郡駅の在来線から9:21発の特急「おき2号」に乗り込んで、まずは売店のカップ酒を一杯。銘柄は『山頭火』であった。「おき2号」は山口線経由の米子行きである。最初の目的地は大田市。山口線内は急カーブが多く、ディーゼル特急はゆっくりと走る。窓からの景色にはまだところどころに雪が残っている。益田から山陰本線に入って、大田市12:41着。駅前のそば屋『そば八』に入る。70年配のおじいさんと奥さんの二人でこの店をやっている。まずは、とろろがのった割り子そばを注文する。つなぎが入らない腰の強いそばである。大田のそばは近くにある三瓶山(さんべさん)にちなんで「三瓶そば」と呼ばれる。つゆは少し甘め。予定より一列車遅らせて、釜上げそばも注文する。
大田市14:15発の山陰本線の鈍行で次の目的地である出雲市を目指す。15:03出雲市着。今度は「出雲そば」を食べる。目指すは駅から歩いて5分程にある『出雲そば本舗 いいづか』。ここでは、三色そば(月見、とろろ、大根おろしの三種類がのった割り子そば)を注文する。大田は石見であるが、ここは出雲の国。「三瓶そば」とは違った味わいで、つゆは少し辛めである。満腹になったところで、日本一の社殿の出雲大社に参拝する。電鉄出雲市から出雲大社前まで一畑電鉄で約20分。まだ時間があるのでタクシーで日御碕(ひのみさき)に向かう。その日は本当に良い天気で、ちょうど太陽が日本海に沈むところが眺められ、感動的な景色であった。
出雲市で一泊し、翌朝は、9:14出雲市発の鈍行で松江を目指す。ディーゼルカーはのどかな宍道湖の湖畔を走る。9:53松江着。松江は山陰屈指の都市で、駅も近代的な高架駅である。近くの『松本そば店』を訪れたが、残念ながらお休み。そこで、松江城に向かい茶店で朝食代わりに「ぼてぼて茶」を食べることにする。「ぼてぼて茶」は小豆や漬物のみじん切りに番茶をかけ、茶筅で泡立てたもの。奇妙な味であるが、空いたお腹には有り難かった。お城を後にし、宍道湖大橋の近くの『上田そば店』で割り子そばを食べる。そばの味は出雲市とほぼ同じであるが、つゆは非常に辛く、薬味はきざみ葱と大量の大根おろしである。
松江駅に戻り、次の目的地は米子。松江12:41発に乗る予定であったが、木次線から入ってきた黄色い新型ディーゼルカーは単行運転。とても混雑しているので一列車遅らせ、12:56発の電車に乗り米子13:30着。駅からタクシーで10分程の町中にある『大黒屋』で割り子そばを注文する。米子は伯耆の国。ここのそばは、伯耆大山にちなんで「大山そば」と呼ばれ、出雲そばとはまた趣が違う。つゆの味は甘くもなく辛くもなし。上には削り節の粉がかかっていた。15:02発の電車特急「やくも14号」で米子から伯耆大山を左に見ながら伯備線に入る。やがて、中国山脈の分水嶺を越えるととたんに空の色が変わる。16:30備中高梁(びっちゅうたかはし)で途中下車。しばし町並みを散策し、17:06の倉敷行き鈍行に乗車した。
2008年10月12日。晴。宮島口へはJR山陽本線の快速で広島駅から24分と意外に近い。宮島へのフェリー桟橋は駅から南へ徒歩5分。松大観光船とJRの桟橋が左右に並んでおり、客引き合戦をしている。行きは厳島神社の大鳥居の正面を通るJRを利用する。乗船約10分で宮島桟橋に到着。桟橋から左手に折れてまず長濱神社に参拝。この神社の前の海にも小さな朱い鳥居がたっている。そのあと厳島神社の方向へ引き返す。観光客でにぎわう道には鹿たちが憩っている。土産物屋や飲食店に挟まれたにぎやかな迂回路は敬遠して、右手に海をみながら渚沿いの道を直進する。
10分程で厳島神社の社務所の前に来るが、少し行きすぎて左手の荒胡子(あらえびす)神社に参拝。祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、厳島神社の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)はじめとする三女神の父神なのである。社務所に戻って拝観料を払い国宝の社殿に入る。左手に客(まろうと)神社があり、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)をはじめとする五神を祀っている。まっすぐ進むと右手には三女神を祀る本殿がある。引き汐だったので社殿から大鳥居の方まで砂浜が見わたせた。そのあと宮島水族館の前を通り大元神社へ向かう。ここまで来ると観光客の姿も見られず静かである。大元神社は宮島で一番古い神社だという。この日は金刀比羅神社、三翁神社と幸(さきわい)神社も訪れた。幸神社の社殿の前にはオスの仔鹿が伏せていて、神にお仕えする神鹿のようだった。
帰りは松大観光船のほうを利用し、広島電鉄宮島駅から市内線直電車に乗車。広島市内の天満町電停下車西へすぐの『出雲そば いいづか』を訪問。広島市内で本格的な出雲そばが食べられるお店である。主人は出雲市出身で、実家も今市町の『出雲そば本舗 いいづか』という名店であった。酒は広島の地酒「美和桜」。広島の酒は総じて甘いが、この酒は少し辛めである。もずく、蟹みそ、野焼きといった出雲直送のあてとともにそばと酒を満喫した。
2022年11月16日。「のぞみ79号」で10時46分博多駅に到着。すぐに福岡市営地下鉄に乗り換え、祇園・中洲川端を過ぎて3駅目の天神で下車。地下からあがって西鉄福岡駅。11時12分発の筑紫行き普通がすぐにあったがやりすごし、17分発の花畑行急行に乗車。1駅先の薬院駅で降りて『赤間茶屋あ三五』を目指す。数分歩くとちょうど11時半の開店と同時に到着。おおかた3年ぶりの訪問である。今朝は団体の予約があるとかで少し待ったが、無事カウンター左端の釜前の席につけた。
突き出しの蕎麦味噌をあてにまずはエビスの小瓶でのどを洗浄。あとはすぐにいつもの〆張鶴。本醸造だが、これがそば料理によく合うのである。注文はおまかせにするので何が出てくるかわからない。以下、出た順ではないし、抜けているものがあるかもしれないが、あらびきそば粉のそばがき、さらしな粉のそばがき、十割田舎そば、そば雑炊、もずく酢、わさび芋、わさび漬け、焼味噌、焼そばがき、小柱のかき揚げ、そば寿司、ゆば巻、花巻そば…。こう書くとずいぶんたくさんのようだが、どれも小鉢ででるのでそれほどでもない。〆張鶴とともにどんどん流し込む。締めには二八そばを注文。これだけは普通サイズにしてもらった。お店滞在時間およそ1時間半ほど。店主の磯部さんは今年7月に『そば歳時記』という本を出したというので1冊購入する。ほろ酔い気分で『あ三五』を出た後、福岡国際センターへタクシーで向かい大相撲を観戦。博多の冬を楽しんだ。